さくらプロジェクトから帰ってきてすぐ、高速バスで福島県喜多方にいる祖母の家に遊びに行った。
やっと車の運転になれてきた僕は、車で広い福島県内をドライブするのを楽しんでいた。
丁度数日前まで、さくらプロジェクトで宮城の津波による被害の話を聞いてきたばかりだった。今度は自分の目で、福島県の沿岸部の様子を見てみようと思い、喜多方から裏磐梯を抜けて、福島市街を通り、相馬市まで向かった。
津波被害を受けた宝迫
なんとなく海の方へ行ってみようと、車を進めると、工事車両が多く出入りする集落へと入った。
特に何か目立ったものがあったわけではないが、一度車を停めて近くを歩いてみた。
すると、近くにいたおばあちゃんが話しかけてくれた。
おばちゃん「どっから来たの?」
僕 「神奈川から、今は会津のおばあちゃんの家にいます」
こんな感じで会話は始まった。
先日まで震災について学んでいたこと、今回相馬に来ようと思ったわけを話した。
すると、少し震災について、話をしてくれた。
最後にお礼を言って、一枚写真を撮影をお願いすると、「ばあちゃんが写るとかわいすぎてカメラが壊れる」という新手の断られ方をした。
ここの地名は「宝迫」という場所だということも聞いた。
何年後かにまた来ます、と約束して宝迫を出発した。
※さくらプロジェクトの後輩に送るためにつくった動画を公開したので、下に貼っておく。
帰還困難区域を通る
宝迫を出発した後は、国道6号線を南に進む。原発の地域を見て、白水阿弥陀堂まで行くのが目的だ。
ここもまた、後輩に見せるために動画にしたものがある。
帰還困難区域はかなり長かった。
直前のコンビニでトイレに行き忘れた僕は、人が通行できない区間のど真ん中でトイレが我慢できなくなってしまい、途中で降りて、白い防護服を着た人に特別にトイレを貸してもらった。
表現が正しいかどうかわからないが、帰還困難区域は人が消えた町だった。人だけがごっそりいなくなった風景は映画の中でしか見たことがない。
人がいない町は、思ったよりもうんと早く、自然に帰ろうとするようだ。雑草が生い茂り、庭の木などもかなり荒れていた。
自分の家へと続く道にバリケードが張られていたらどんな気持ちになるだろうか。そんなことを考えながら、走り続けた。
思い出の海、いわき
帰還困難区域を抜けると、いわき市に入る。小さい頃は毎夏いわき市にある勿来海岸という海で遊んでいた。
今回は勿来まではいかないが、四ツ倉海岸など、いわきの海を左に見ながらに走った。
新しい防潮堤が作られている。海のすぐ横を走っているのに全く海が見えない。少し寂しいような気もする。だが、人の命が何よりも大事なのだ。
白水阿弥陀堂につくと、残念、もう営業時間外だった。
また次の機会にしよう。
少し、はやめの16:00には閉まってしまうようなので、行くときは注意が必要だ。
喜多方に戻ろうと、いわきを出発したときはすでに暗くなっていた。
福島の沿岸部も、これからどう変化していくのか、この目で見ていきたい。
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