【被災地訪問】2016年度のさくらプロジェクト

さくらプロジェクト

二度目の被災地

2017年の3月末、二回目の被災地訪問の機会がやってきた。大学1年生の1年間、母校の文化祭で防災のためのワークショップや東北の特産品を販売をした。

お世話になった母校に、卒業後も関わることのできる良い機会だと捉え、積極的に活動に参加した。もちろんそこには東北が好きだという気持ちが大前提であった。

だがやはり、目玉となる活動は3月に行われる被災地訪問活動だ。この年も前年と同じように宮城県の仙台市周辺を見学させていただけることになった。

僕にとっては2回目となる被災地訪問。1回目は高校卒業の春、制服を着てギリギリ高校三年生という枠で活動に参加した。

そして、2回目は大学生として、高校の卒業生としての関りだった。大学生という立場で高校生の活動に参加する。不思議な気分だ。

一日目 現地の人との関わり

新たな取り組み

昨年と同様に仙台の周辺は多賀城高校の生徒が案内をしてくださった。

町中を見学し、場所を多賀城高校に移しての交流会では『減災アクションカードゲーム』という活動を体験させていただいた。このゲームは、その場で言われた状況でとるべき最善の行動を表すカードを三秒以内にとって説明をするというものだった。

あらかじめ選択肢が複数用意されていて、その中からベストを選択するという力を試されるものだった。

夜、コンテナ型のホテルにて

この日の宿は、仙台の大きなバイパス沿いにあるコンテナホテルだった。二泊三日の活動は学びが目白押しだ。

夜の回では地元で活動をされている太田さんという方のお話を聞くことができた。

「絶対にあきらめない。」

ドリカムの「何度でも」という歌が頭から離れなかったのだという。思わず部屋に戻ってから何度も繰り返し聞いてしまった。

一つ一つの言葉にものすごい説得力があった。太田さんからは二日目の最初にも少しお話をいただいたが、挨拶の大切さなど、被災した当時の経験からくる貴重なお話ばかり。コミュニケーションや信頼の大切さを改めて感じることができた。

DREAMS COME TRUE – 「何度でも」

二日目

大川小学校

少し長い移動を挟んで、大川小学校へ。長く北上川にそって海に向かう道を行くと右側にいきなり現れる。 先輩から、大川小学校は空気が違うと聞いていたが本当にその通りだった。何か、そこだけ違う世界のような、時間が流れていないような、何もないようなそんな空気だった。そこでは、当時六年生だった娘さんをなくされている方のお話を聞くことができた。

普通にニュースを見ているだけではわからない話がたくさん聞けた。地震発生から津波到着までの50分間、何かできることはなかったのか。どうして逃げなかったのか。

わからないことがまだ多くあるが、間違いないのは、大川小学校の先生は必死だったこと。そしてそこに救ってほしい、そして救える命があったこと。

語り部をしてくださった方自身は教員をされていて、親の気持ちはもちろん、先生の気持ちも持っておられる。

その話からは僕たちが想像もできない、想像しようとすることさえしてはいけないような、言葉では言い表せない複雑な感情が感じられた。お話の後は、少しだけ自由に見て回る時間があったが、黒板や廊下の張り紙、体育館の跡など、本当に当時の“そのまんま”だと感じる。

高校生はここでかなりのショックを受けたようだった。先生のお話を聞いている最中、嗚咽やすすり泣きが聞こえてきた。それほど衝撃の大きい空間だった。

大川小学校についての詳しい情報はこちらでご覧いただけます。
home | 小さな命の意味を考える会 (311chiisanainochi.org)

揺れ動く心

そのあとの移動の最中、自分の中のモヤモヤを何も整理できていなかった。特に悩ましかったのは二つ。

一つ目は、「自分が教師だったらどうしていただろうか」ということ。前日の多賀城高校のカードゲームも、自分一人が助かるには何がベストかということしか考えずに取り組んでいた。

そこに大勢の命がかかっていたら、取るべき行動は変わってくるし、行動に責任が伴うようになる。そうするとその判断はすごく難しくなるだろう。大学で教職課程を取っている自分にとっては目をそらしてはいけないことだと思う。

教員ではなくても、これから社会に出ると「自分がだれかかに守られていた立場」が、「自分がだれかを守る立場」に代わっていくだろう。その責任に対する心の準備が全くできていなかったことに対して深く反省する。これは今後の活動の自分の課題だと思う。


二つ目は、「遺族の方が涙を我慢しながら話してくれているのに、自分たちが泣いて本当に良いのか」ということだ。これは大川小学校を出発した直後に考えたが答えは全く分からなかった。何かを感じて泣いている仲間を否定することはできない。ただ自分のなかには涙を流すことに対して抵抗があった。この迷いに対する一応の答えは、この日の夜の会での後輩が代弁してくれた。

二日目の夜

夜の会では、自分たち大学生が中心になって、意見の交換をした。高校生にすべて吐き出してもらえるように自分たち大学生はあまり話をせずに高校生の話を聞き出す役割に徹した。このような経験(ファシリテーター?)はなかなかなかったので貴重だったと思う。

この会でもやはり泣いている子がいた。それに対して、大川小学校から引きずっていた二つ目の悩みでモヤモヤしていた。その時、新高3の女子が言った言葉にとても救われた。「泣くか泣かないかは問題ではなくて、その人が何かを感じているのならそれでよい」というような内容だった。この発言にとても救われた。本当にその通りだと心から思った。

このように今年は、後輩の発言から学ぶことが多かったと思う。去年と比べても、発言力のあるメンバーが多く、いろいろな考えをもらった気がする。今回、現地で出会った人はこの活動に参加していなければ出会えなかった人々だ。その出会いは大切にしたい。そして、今回一緒に行った仲間もこの活動がなければ出会えなかった人たちだ。この出会いもかけがえのないものだと気づかされた。

三日目

3日目は地元の漁師さんのお手伝いをするという活動だった。

女子は室内でわかめの仕分け作業、自分は外でわかめの重さをはかりながら箱に入れるという活動を経験させていただいた。

自分の作業場は周りの方が2~3年前に日本に来たという東南アジア系の方だった。社会科で学習した、労働者不足のために外国人労働者が増えているというのを肌で感じる機会になった。

作業は時計の針が止まっているのではないかと思うくらい長くしんどいものだったが、 皆さんとても良い人ばかりで、とても楽しかった。

中で作業していた新高3女子二人は地元の年配の方々と親睦を深めていた。震災当時に関する話もたくさん聞けたということだったので意味のある活動になったのはとても良かったと思う。

このわかめ作業の特徴は、何かの作業に直接かかわれるということだ。去年の活動にはこれが少なかった。今年はそれが組み込まれていてよかったと。

ただ、やらせていただいている立場であるということには変わりなく、感謝されるほど自分たちはあまり役に立っていないのではないかという後味の悪さが残ってしまった。こう感じたのは自分だけではなかったと思う。

我々学生が直接的に何かにかかわるということは、6年経った今では難しいのではないかと通関した。

改めて感じること

去年に続いて二回目の参加。今年は参加しようか迷ったが参加してよかったと心から思う。そして、今後の活動にもできる限り携わりたいと思う。続けることが何よりも大切だからだ。

去年、復興と聞いてがれきの撤去などの作業を想像していた自分は、実際に参加して拍子抜けに近い感覚を覚えた。何も役に立っていないのではないか?

今年初めて参加した高校生も同じようなことを口にしていた。「無力感」

ただ、ここで自分なりに考えたことがある。

どんなことをしたら自分たちが無力感を感じない活動ができるのか。(いや、そもそも自分たちが達成感を得るのが目的の活動ではないと思うが。)

どんな活動をしても結局大したことはしていないと感じるのではないか?例えば、自分たちで復興住宅を一棟建てたとしても(どう考えても無理な話だが)、結局住居に困っている人々の問題やその奥深くにあるコミュニティの崩壊などの問題すべてに対応できなければこの「無力感」は残るのではないか?復興に携わっている人は常にこの無力感を感じながら、しかし、自分にできる最大限の活動かつ自分のするべき活動をしているのではないか。

年に一回の活動で、自分たちが直接的に復興にかかわるのは不可能に近い。盛り土をするのは専門の人しかできない。家を建てるのは大工さんしかできない。街を作り直すのもそのような職業の人しかできない。

では、『自分たちしかできない』は?ここを今後もっと深めていきたい。来年は、話を聞いたり、会いに行って喜んでもらうことも復興の一つのあり方なのだという視点も出発前から初めて参加する人に共有したい。

「何もできていないのに、ありがとうと言われる」

 →自分たちがわかっていないだけで、そこに何かあるのではないか?

「いろいろなものをいただいたり、自分たちが支援されているみたい」 

 →来て話しただけだが、それがいろいろなお土産をくれるくらい嬉しいことなのではないか?

もちろん、何にもできていないと感じるのだからまだまだ少しでも何か役に立つことを考えていくことが必要である。

ただ、自分たちにできる一番良いことには少しだけ近づけたような気がする。それは地元の方々の本当にうれしそうな顔が見れたから。

その笑顔や「ありがとう」という言葉の奥に少なくともマイナスな気持ちはないように感じた。去年はそこに「うっとうしいと思われていないか」などの不安があったが、今年はその笑顔や感謝の言葉を素直に受け取ることができた。

この考え方が変わったことが今年参加して一番良かったと思えるところであり、今後の活動でさらに深めていきたいところだ。自分たちがすべきことで、自分たちができることをみんなで考えれば「自分たちにしかできない活動」がはっきり見えてくると思う。

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