「1945」「2011」「2012」「2015」「2021」

「1945」「2011」「2012」「2015」「2021」
これらの数字は僕にとってとても関係がある年である。
「1945」は私の祖父が生まれた歳だ。祖父は岩手県釜石市出身で、幼少期から高校まで時を過ごしていた。
「2011」は祖父の実家周辺を全て瓦礫で飲み込んだ自然の暴発。東日本大震災の発生した年である。多くの人が亡くなり、大切な人やモノやコトが失われた。
「2012」は東日本大震災から1年が経て、祖父母と母と弟と共に「足を運んで現実を見に行こう」と車で東京かな釜石まで向かった。その時の光景は今でも忘れない。建物の基礎だけが残り、他は泥に塗れている家や海岸沿いにはプレバブの家が並んでいる。TVでは復興していると流れているけども、自分の目でみた釜石は復興とはまだまだ程遠い光景だった。
「2015」は私自身が高校生になり、ただ単に「足を運ぶ」ではなく「頭と目と口と耳と足で学ぼう」と思い、高校で行われていた東北プロジェクトに参加することを決意した。3.11当日の恐怖さや翌日以降の厳しさを体験された方々からお話を頂く事ができた。
歩道橋には津波が到達したのが、一眼見れば分かるような汚れや苔がついていた。「死」がある日突然目の前に降っていくという脅威を感じる事ができた。
「2021」は私自身が大学4年生になり、東日本大震災から10年が経った。家が建ち、商店街が作られ、美味しい海産物も頂けるようになった。しかし、「元に戻る」という事は一切なかった。真っ新な土地が溢れて、大木があった場所もまだまだ小さな芽ばかりだった。

この10年間で東北を何度も訪れた。10年を「もう10年経った」と考えるのか、それとも「まだ10年経った」と考えるのかは個々それぞれの当事者意識の違いだろう。

僕はこれから先も「東北」については心に留めて人生を歩みたい。

2022.3.9
差出人:奥山直哉(学生起業家)


この記事は、奥山直哉さん(Twitter:@okuyamaSENCEO )に執筆していただきました。
奥山さんは20歳で学生起業し、現在は一度会社を解散されて、なおも情熱的に活動されています。この文章からわかる通り、実際にお会いしても人を瞬時に引き付ける魅力的な方です。
SNSにも力を入れられているので、是非フォローをお願い致します。

奥山さん、この度はお忙しい中ご協力ありがとうございました。