海を見て復興を考える

2018年3月24日、私は高校3年生だった2年前から参加している母校の被災地訪問活動の一環で、宮城県沿岸部にいた。 七ヶ浜という地区だ。

七ヶ浜は文字通り七つの浜からその名がつけられている。 湊浜・松ヶ浜・菖蒲田浜・花渕浜・吉田浜・代ヶ崎浜・東宮浜の七つだ。今回行ったのはその中の菖蒲田浜というところである。

海の真横に停まった観光バスから降り停ると、目の前は辺り一面の海……ではない。 目の前にあるのは比較的きれいな防潮堤だ。少し歩くと防潮堤に登れるところがある。 階段を上るとそこは、今度こそ辺り一面の海だった。

率直に、とてもきれいだ。 波は穏やかで、色は海独特のきれいな青。目の前の美しい海がたくさんの人の生活を奪うことになったとはとても考えられない。しかしそれは実際に起こった現実だ。

2011年3月11日、あの地震がおこる前も、この海は同じように人々の心を癒やしていたに違いない。 それが一変してすべてを飲み込む濁流となってしまう。 自然の大きさと怖さを思い知らされる。

人の命と日常の風景

七ヶ浜の防潮堤には工夫がなされている。 まず、段差になっていて津波の威力を弱めることができる。そして、町から海が見えるように工夫して建てられている。

 人がしっかりと逃げられれば、防潮堤など作る必要はない。逃げない人がいるから、日常にあった海が奪われてしまう。

これは翌25日、閖上地区の方がおっしゃっていたことだ。

いずれ再来する津波に備えて、防潮堤は作られる。 人の命を守るためには必要なことだ。 しかし、そうすることによって現地に住む人々から海の景色が奪われる。

私は小さいころ、福島県勿来海岸の海水浴場で遊んでいた。
それから10年以上経った昨年、車の免許を取って、いわきから相馬まで福島県の沿岸を車で走ったことがあった。 その時、本当なら一面に海が広がるはずの車の右側はひたすら防潮堤だった。

よそ者でも、見えたはずの海が見えなくなると寂しいものである。 それが地元の人であれば、その切なさは比べ物にならないだろう。それでも、人の命には代えられない。

菖蒲田浜の防潮堤を見ると、人の命を守るという、一見誰もが賛成するように思える事業に隠れた、地域の人々の犠牲を再認識することができる。

宮城県

前の記事

風化