青森県大鰐町で地元の温かさに包まれながら車中泊、この記事はその翌朝からの話。
ふたたび市立図書館へ
弘前市立図書館には9:00頃到着した。まだ電源の入っていない自動ドアの前で待機する。
今回の旅はこのために来たのだ。他の事でも十分楽しんでいるが、『弘前藩庁日記』のコピーが入手できないと来た意味がまるっきりなくなってしまう。
15分前くらいから結構な数の地元住民が集まってくる。年配の方が多いのが印象的だった。図書館で何かを勉強するのだろう。
「頼むから自分以外の人が『弘前藩庁日記』を使わないでくれ!」と思いながら、9:30に自動ドアが開くのを待つ。
開館、そしてダッシュ。
定刻になってドアが開いた。僕は西宮神社の福男選びの如く、全力で二回の調査室へと向かった。
どうしてこんなに急ぐのか?実はこの日の午後には岩手県盛岡で会う約束をしている人がいたのだ。今回の旅では高速道路を使わないのがモットーなので、弘前から盛岡までは3時間以上かかる。少しでも早く図書館での用事を終わらせる必要があるのだ。
二階に行くと、『弘前藩庁日記』が置かれている場所に案内された。江戸時代の寛文から慶応までの約200年間の日記が一月ごとに製本されているのでものすごい数が置かれている。
その中から僕が卒論で使う箇所が記載されている約20冊を選び出し、印刷する箇所を探すのにまず30分かかった。
「くずし字」という筆で書かれた、一般人には読解不可能な文字で書かれているので、どこが印刷したい箇所なのかが一目でわからない。例えば天明三年の八月二十四日の日記が欲しいとしよう。
そうするとまず、膨大な数の製本が置かれている棚から「天明」の箇所を探すのだ。そして、その中から三年の八月を探す。目次やページ数が書かれていないので、日付の書いてあるページを探して、一つ一つ確認していく。我ながらこの時の集中力は素晴らしかった。この作業を30分で終わらしたのは快挙と言ってもいいのではないか?
コピー機を独占
印刷箇所を揃えたら次は実際にコピー機を使って印刷しなければいけない。コピーはB4サイズで白黒一枚10円。お金も時間もそれほどかからないと思っていた。
だが、その考えは甘すぎた。『弘前藩庁日記』は江戸時代に弘前藩に仕える「日記方」という役職の人たちが書いたのだという。そいつらはなんでこんなに紙を無駄遣いするのだと思えるくらい、大きな字で、すぐにページを変えて書かれている。そして、一日の記述量がものすごく多い。コピーした中で最高は一日の出来事に37ページも使っていた。
それ以外にも20ページ以上がほとんどなので、印刷にはものすごく時間がかかる。ここまで来てコピーミスがあっては元も子もないのでコピーは慎重にしたが、それでもかなり急いだつもりだ。
すべてを印刷し終わった時には、1時間半がたち、お金も2500円がなくなっていた。僕の車にはB4の紙が250枚以上入っていることになる。
最後に取り出した日記をもとの棚に戻すという作業でもう一苦労して、弘前市立図書館を、青森県を後にした。
なんだかんだ思い出のできた青森県
今回は弘前を中心に青森県の南西部を見て回った。次回は八戸から北、下北半島の方に行ってみたいと思う。今回はかなりの急ぎ足、そして目的地の休館日というアクシデントもあったが、短い時間で人の温かさに触れることのできた良い時間だった。また、時間を作って青森に来ようと思う。
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