富山の温泉施設、海王を出発して、宿泊できる場所を探す。
この日も車中泊で乗り切るつもりで車を停められる場所を探すが、近くに道の駅もなさそうなので、能登半島へ向かうことになった。
能登半島へ
次の日の朝に能登半島国定公園で日本海を見ることを目標に、取りあえず夜のうちにできるだけ北上することになった。
富山の町を少し走ると、GoogleMapはまた高速道路の入り口に案内しようとする。
能登半島には無料の道路は通ってないのか?
仕方なく、緑の道路標識の方へ進むと、料金所がない。どうやら無料区間のようだ。それなら安心だ。
高速道路なので快適に進む。法定速度はあまり早くないが、周りの車に合わせて軽快に進む。
信号もないので、しばらく気分良く運転していたが、焼き肉を食べ、温泉に入った僕の体はそろそろ睡眠を欲していた。
友人も休みたいようで、最初に見えたサービスエリアで車中泊することになった。
また、しばらく走るとサービスエリアが見えてきた。
が、話に夢中で入りそびれた。次のサービスエリアは15㎞先らしい。腹痛も出てきて、眠気も襲ってきている。
だんだんとしんどくなってきた。10㎞先、5㎞先、段々とその日のゴールは近づいているが、それよりも体調が悪い。
一つ目のサービスエリアを逃したあたりから寒気が復活してきていた。
能登半島の真ん中で地獄の車中泊
やっと車を停めることができたのは能登半島の真ん中、「別所岳サービスエリア」だった。
時計を見ると、もう日付は変わっている。
トイレに一番近いところに止めた車を飛び出して、まずトイレに駆け込んだ。
この数日、腹痛こそなかったが、ずっと下痢をしていた。ここにきて痛みも出てきた。
そしてなによりも寒い。車の暖房を一番高くして、家から持ってきた羽毛布団にくるまっても体の震えが止まらない。
なんとか眠りにつくことはできたが、夜中に何度も起きてトイレに行く。寒気は止まらない。
ろくに眠れないまま、朝を迎えた。
朝早く、とりあえず高速道路の無料区間の終わりまでは自分で運転した。
だが、一般道に降りてすぐのコンビニでトイレに寄ってから、あまり記憶がないのだ。といっても気絶したわけではないのだが。
弱り切っていて意識ももうろうとしていたのだろう。
そこで再び友人に運転を代わってもらい、申し訳なく思いながら、助手席でベンチコートにくるまり寝かせてもらった。
焼き肉屋「たからや」から富山の温泉までの間で車をぶつけそうになった、免許取得から1週間も経っていない友人も、すごい経験だっただろう。
アクシデントがあったとはいえ、誰が、見知らぬ土地で、100㎞以上運転することを予想しただろうか。
日本海に飛び出る能登半島の道を急遽運転してくれた友人には感謝しかない。また、体調不良とはいえ、親の車を素人に運転させた自分もなかなかすごいと思う。
能登半島の絶景
友人の横でぐっすり眠り、起きるとそこは能登半島国定公園だった。
地図で確認すると、本当に能登半島の先端にいる。日本海をまじかに見たのは山形県鶴岡市で見て以来二回目だ。
やはりイメージ通り、険しい、冷たい雰囲気がある。
能登半島国定公園では一時的に体調が良くなったので写真を撮ったり、すこし海岸線を散策したりと観光らしいことはできた。
再び起きたらそこは金沢だった
しかし、車に戻ると再び体調が悪くなり、またもやリクライニング全開の助手席に伏すしかなかった。
どれだけ寝たのかはわからないが、目が覚めるとそこは石川県の金沢だった。金沢は今回の旅で一番訪れたかった場所だ。
兼六園のすぐ近くの駐車場に車を停め、まずは昼食を食べる場所を探す。改めて思うが、友人は良く運転してくれたと思う。
さすがに病院にかかった方がいということになったので、月見うどんを何とか完食してから金沢近辺の内科医院を探す。
しかし、水曜の午後ということもあるのか5つ以上の病院から断られてしまった。
やっと見つけた相良内科という病院は、兼六園からも近かったのでそこは不幸中の幸いであった。
二度と行かないであろう内科の診察券を作り、医者に診てもらうと、診断は感染系の腸炎だった。熱も39度近くあった。
人間とは不思議なもので体温計に表示された数字を見ると、一段と体調が悪くなってしまうのだ。
もうこの日は観光どころではなかったので友人に金沢駅近くのアパホテルを予約してもらった。
友人には本当に感謝している。ホテルを予約してもらい、OS1やポカリスエットも買ってきてもらった。
旅を台無しにしてしまったのに、文句も言わずに色々なことをしてくれた。
よく、「看病してくれた人を結婚相手に選んだ」という話を聞くが、その気持ちは少しわかるような気がした。
もともと二人で旅行に行くくらいの中ではあったのだが、腸炎で本当にしんどい時に助けてもらってから、信頼度は増した。一人だったと思うと恐ろしい。
同時に感じたのは親・家のありがたみである。
金沢のホテルで寝ながら、もちろん観光もしたかったが、家に帰りたいとも思った。
無償でいろいろしてくれる親という存在がどれだけありがたいか。わかっているつもりだったが、まだまだわかっていなかった。
もうその時には時計を見ていないので、何時から何時まで寝ていたのかはわからない。気が付いたら次の日の朝になっていた。
友人の買ってきてくれた水分と薬のおかげか、なんとか動けるようにはなった。
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