免許合宿から6年
大学2年の夏、私は山形県の鶴岡市に同じサークルの友人と2人で免許合宿に行った。
「夏に行くから涼しいところが良いよね」という単純すぎる理由で山形県に決め、結果とても素敵な二週間を過ごした。
海や山に囲まれたのどかな場所で、夜は近くの海でお酒を片手に語り、空き時間には山の方までサイクリングをした。
同じ合宿所、教習所の男の子達と仲良くなったことで合宿生活はより楽しくなった。
海辺で花火をしたことも、夜部屋でこっそり集まって飲んだことも、最後の休みの日に少し遠くまで足を伸ばしみんなでボーリングとカラオケに行ったことも、今でも鮮やかに思い出せる。
卒業検定に受かり鶴岡を去る日、お世話になった教官からは「運転に慣れたらドライブで鶴岡に遊びにきてね」と言われたけれど、私は結局ペーパードライバーとなってしまい、鶴岡にも行けていない。
教習所で出会ったほとんどの人達とはそれきり会えていないけれど、「みんなで花火をするので来ませんか?」と最初に声を掛けてくれた男の子とは今でも何だかんだ交流が続いているから、人生は何が起こるか分からなくて面白い。
でも、私が一番予想できなかったことは、一緒にこの免許合宿に行った友人と音信不通になるということだった。
大学生活で一番多くの時間を過ごした彼女と、3年前2人でディズニーに行った日を最後に連絡が取れなくな った。私だけではなく、他のサークルの友人も。彼女の中高の友人も。何の前触れもなく、彼女は突然私たちの前から姿を消した。
彼女と繋がっている全てのSNSを使って連絡を試みたし、サークルの友人達や面識のない彼女の中高時代の親友にまでSNSを使って協力を持ち掛けた。初めは協力してくれたサークルの友人も「理由があるはずだから、そっとしておこう」と友人探しから降り、彼女の中高時代の親友とも「生きてはいるらしい」との連絡を最後に連絡が取れなくなった。
こうして友人探しは行き詰まり、私も社会人生活の忙しさから彼女を探すことはやめていた。それでも、時には思い出したようにラインを送り、彼女の誕生日にはメールで「おめでとう」と送ったりもした。
気付けば、彼女と連絡が取れなくなってから 3 年経っていた。 彼女のことを思い出すと今でも少し胸が痛む。 友人は他にもいるけれど、あれだけ気の合う友人は他に居なかったと切に思う。
それでも、私もこの 3 年間で素敵な出会いも別れも経験した。とにかく彼女にもう一度会いたいと思っていた私は、もう会えなくてもどこかで幸せでいてくれたら良いと思えるようになっていた。私は今年、彼女の誕生日におめでとうと送るのをやめた。
もうすぐ免許合宿に行った9月が来る。
あれからもう6年。長いようであっという間の6年だった。
これから先もきっと、彼女の誕生日である3月と、免許合宿に行った夏の時期は彼女のことを考えると思う。そして鶴岡が恋しくなると思う。鶴岡はいつか彼女ともう一度行きたいと思っていた場所だけれど、いつか別の大切な誰かと遊びに行きたい。