白河小峰城について― 「お城を見る」から「城郭を読む」へ ―

歴史

※今回は大学時代の建築学の講義でのレポート課題を記事にしたものです。

第1章 城の概要

今回扱う城郭は、福島県白河市(陸奥国白河)に位置する白河小峰城である。白河城と呼ばれることも小峰城と呼ばれることもあるが、地元の人は小峰城と呼ぶ場合が多い。

白河市教育委員会の『小峰城跡発掘調査報告書―三重櫓跡・前御門後の調査―』(2010)によると、白河市の中心市街地一帯は、西に聳える奥羽山脈より樹枝状に派生した丘陵と、阿武隈川や谷津田川などの河川によって形成された段丘が発達している。小峰城跡は、東西に延びる標高370mほどの独立段丘と、阿武隈川や谷津田川により形成された標高357mほどの河岸段丘上に立地している。

第2章 縄張り図

『小峰城跡発掘調査報告書―旧商工会議所解体に伴う発掘調査―』(2013)にある通りこの城は、「標高370mほどの東西に細長い丘陵の頂部に本丸を設け、二之丸、三之丸を階段状に構築した梯郭式の平山城」であり、石垣・土塁・内外掘で何重にもなっている。また、全体的に五角形であることも縄張り図からわかる。縄張り図を見ると、虎口が土橋になっている部分が複数箇所見て取れる。また、そのうちの十か所以上は虎口が外枡形となっているのがわかる。なお、この縄張り図は松平定信が在城時の『奥州白河城下全図』である。城郭としての防御施設のほかに、北面を流れる阿武隈川が自然の水堀としての機能を担っていたことがわかる。このような防御的性格を持つのは、この小峰城が地理的に見て、奥州の南限だということが作用しているとも考えられる。

白河小峰城2 (14)
引用元は後述

第3章 城の歴史Ⅰ(利用時期である近世以前と城主について)

城の成立は文化2年(1805)に編纂が完成した『白河風土記』によると、南北朝期、興国~正平年間(1340~1369)のころ、結城親朝が小峰ヶ丘に構築したことが始めとされる。その後、永正年間(1504~1520)頃には白河結城氏の本城となるが、天正18年(1590)の豊臣秀吉による奥州仕置きで小田原に参陣しなかった結城氏は改易となり、結城氏による白河支配はここで終わりを告げる。奥州仕置きのあと、小峰城は会津領となり、城代は蒲生氏、上杉氏、再度蒲生氏と移り変わった。寛永4年(1627)、丹羽長重が棚倉より10万石で入封し、白河藩が成立。その長重は幕命をうけて寛永6年(1629)から、約4年の歳月をかけて、城郭を大改修する。小峰城の特徴である石垣はこの大改修の時のものと思われる。丹羽家以降、丹羽氏、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏と7家21代の城主の交代があったが、慶応2年(1866年)、最後の阿部氏が棚倉藩に移封された後は、白河藩は幕領となり小峰城は二本松藩丹羽氏の預かるところとなる。その後、慶応4年(1868)、戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となり(戊辰戦争白河口の戦い)、5月1日、小峰城は大半を焼失し落城した。

第4章 城の歴史Ⅱ(近代以降)

戊辰戦争で焼け落ち、荒廃した小峰城だが、明治6年(1873)1月14日の廃城令では存城とされた。城跡には曲輪・土塁・石垣・水堀などを残すのみだったが、平成3年(1991)に本丸跡に天守閣に相当する三重櫓(当時は三重御櫓と呼ばれ実質的に天守に相当した)が復元された。そのため、この小峰城の遺構は、石垣・土塁・堀で、三重櫓・それぞれの門は復元されたものである。二之丸の太鼓門西側に建てられていた太鼓櫓に関しては、廃城令のあと、民間の荒井氏に払い下げられ、三の丸に移築された後、昭和5年(1930)に福島地方裁判所白河支部の近くに移築され、現在は茶室として利用されている。2度の移築により、建物そのものは改造され原型が大きく損なわれているが遺構である。昭和39年(1964)に白河市指定重要文化財に指定されている。また、平成6年(1994)には前御門が『白河城御櫓絵図 』に基づいて復元された。

現在、小峰城は本丸・二之丸を中心に都市公園区域となっており、平成18年(2006)4月6日には、日本100名城(13番)に選定された。また会津藩の会津若松城(別名鶴ヶ城)・南部藩の盛岡城とならんで東北三名城にも選定されている。

しかし、記憶に新しい平成23年(2011)3月11日の東日本大震災により、数箇所の石垣・曲輪が崩壊し、また、石垣の積み重ねが緩む被害もあった。2015年4月から入城可能となり、2018年度の全面修復を目指している。

第5章 文献史料

文献史料に小峰城が登場するのは主に『白河風土記』(1805)で、「南北朝期の興国~正平年間(1340~69)の頃、白河庄を治めていた結城宗広の嫡男で別家小峰家を興す親朝が小峰城を築城した」ということが書かれている。

文献資料は少ないが城郭ということで絵画資料が豊富で慶長期の『白河城之図』や、文化期の『奥州白河城下全図』などがある。

第6章 出土遺物

小峰城の出土遺物には、瓦・漆器・銭貨・鉄砲弾などがある。瓦の種類は様々で、丸瓦・平瓦・鯱瓦・鳥衾瓦・鬼瓦などがある。鬼瓦には阿部家の家紋である、違鷹羽文がみられるものも出土している。

参考文献

『小峰城跡発掘調査報告書―三重櫓跡・前御門後の調査―』(2010)

『小峰城復元報告書―三重櫓・前御門―』(2010)

『小峰城跡発掘調査報告書―旧商工会議所解体に伴う発掘調査―』(2013)

『小峰城跡発掘調査報告書―城山公園整備に伴う調査2―』(2015)

白河市教育委員会

引用文献

『小峰城跡発掘調査報告書―三重櫓跡・前御門後の調査―』(2010)

『小峰城跡発掘調査報告書―旧商工会議所解体に伴う発掘調査―』(2013)

画像引用

白河小峰城 : 城とか陵墓とか
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