縁あって山形へ
大学一年の夏、運転免許を取るために山形県鶴岡市に二十日間ほど滞在した。
当初、この夏休みには免許を取る予定はなかったのだが、高校時代の友人に誘われて急遽申し込むことになった。
かなり急だったので、もうどこの教習所も空きがない状態で、大学生協の職員に笑われるほど時期外れな申し込みになってしまった。
そのような中で唯一こちらの希望条件に合う教習所が鶴岡自動車学園であった。
このころ、漠然と東北は好きだったのだが、福島にしか興味はなかった。選択肢があればおそらく福島県の教習所を選んでいた。
今となっては、唯一条件のいい教習所が山形だったことに、何か不思議な縁を感じずにはいられない。
日本海側から庄内平野に入る -合宿初日-
「つばさ」じゃないんかい
このころ、山形についてはほとんど何も知らない状態だった。
山形県が南北に広いということはさすがにわかっていたが、鶴岡がどのあたりにあるのかは全く知らなかった。
東京から新幹線に乗って、決められた路線で鶴岡駅に向かうのだが、指定された行き方は新潟経由だった。
山形に新幹線で行くとなると、小さいころ新幹線大好き少年だった僕は、何の疑いもなく「つばさ」に乗って福島まで行った後に、日本海側へと入っていくのだと思いこんでいた。
なじみのある新白河や郡山の景色を眺めることも楽しみだった自分にとって、上越新幹線を使うルートは何となく不満だった。
新潟経由で山形へ
まずは新幹線に乗って新潟まで向かう。
途中、その長さで有名な中山トンネルを通った。幼稚園の頃のスキー合宿の記憶がよみがえる。
窓の外の暗闇があまりに長く続くものだから、同級生の子が泣き出してしまったのだ。
今まで特に思い出したこともなかったのだが、トンネルが長いと考えていたら急にそのことを思い出した。
ただの暗闇が、10歳にも満たない頃の車窓の記憶を呼び起こした。
新幹線は、新潟まで、途中大宮にしか停車しない車両だったので、あっという間に新潟駅に到着する。
JR特急「いなほ」
新潟からは特急「いなほ」にお世話になる。
新潟を出てからしばらくすると電車の左側に日本海が見えてくる。考えてみると、生きてきた19年間で日本海を見たのは初めてだった。
小さいころから家族での海水浴は地元神奈川の湘南か福島県いわきのどちらかだった。友人と海に行くことがあっても、神奈川県民にとっての海と言ったら大概が湘南江の島である。
しばらくの間、電車の左側が海、右側が山という景色が続く。
日本海というとなんとなく、太平洋よりも険しいイメージがある。僕が勝手に抱いていたそのイメージは羽越本線沿線に限って言えばかなり正確だった。
崖の途中を電車が走っているような感じだ。よくこれだけの崖の上に鉄道を敷いたと思わず感心してしまう。
※僕の語彙力では車窓の美しさが表現できないので、僕の大好きな鉄道ブロガーさんの記事をどうぞ。
「いなほ」の停車駅にはなっていないが、新潟県から山形県に入るところに、鼠ヶ関という駅がある。
鼠ヶ関はその名前からわかる通り、昔関所のあった場所だ。白河関・勿来関と並んで奥州三大古関に数えられている。
兄である源頼朝に追われた源義経はこの鼠ヶ関を通って奥州に入り、幼少期を過ごした平泉を目指したという。
大学で日本史を学ぼうとしている自分にとって、少し目を引く地名であった。
鶴岡に到着
新潟を出て、一時間半ほどで目的地の鶴岡駅に到着した。
事前に渡された紙には鶴岡駅前モニュメントに集合とだけ書かれていたので、集合場所が心配だったが、モニュメントらしきものはすぐに見つかった。
駅前にどう考えてもこれしかないだろうというくらい目立つ、アーチ状のモニュメントがたっていた。米俵を担いでいる人と少年の像だ。
特急列車の名前もいなほであったし、東北有数のコメどころである庄内平野らしさを感じた。
後から知ったことだが、この鶴岡駅前のモニュメントは特定の列車が鶴岡駅に入ると音楽が鳴り回転するらしい。
鶴岡駅前にマイクロバス1台分にも満たない人数が集合すると、教習所に移動する。
山形と聞いてど田舎を想像していたが、駅や教習所の周りはかなり栄えているところだった。
教習所につくとガイダンスのような集まりがあり、それが終わるとすぐに学科の講義を受けた。
それなりに早起きしていたのでかなりしんどかったが、その後さらに実技教習まで入っていた。
二週間で卒業させるのだからかなり詰め込まれているのだろう。車どころか原付バイクすら扱ったことのなかった僕は案の定、一時間の教習で何度もエンストした。先が思いやられるとはこのことだ。
これから本当に大丈夫なのだろうかという不安な気持ちで宿に到着したのは、日の長い夏だというのに、完全にあたりが暗くなってからだった。
合宿での生活
人を呼ぶ足湯
何日か過ごしていくうちに、朝起きて教習に行き、帰って寝るという単調なリズムにも慣れて、だんだんと退屈になってくる。
何日目からだったか、一緒に行動している友人と宿から少し歩いたところにある足湯に行くのが毎日の日課になっていた。
温泉が真ん中から温泉が出ていて、少し暑いがとても気持ち良い。生活の要領をつかむと、他にもいろいろと楽しみが増えていく。毎晩宿で卓球をするのも楽しみの一つだった。
海に日が沈むのを見たことがなかった。
周りもほとんどが大学生なので自然と友達も増えていく。これが免許を取るなら合宿と言われる理由の一つだろう。
その中でも特に楽しみだったのが宿の部屋から見える夕日である。湯野浜から見える夕日は毎日とてもきれいだった。
太平洋側に住んでいる僕は、太陽が海に沈む景色を見たことがなかった。
高校一年生の時、江の島に初日の出を見に行き、海から昇る太陽を見た経験はあるが、太陽が日本海にだんだんと沈んでいく様子もまた素晴らしいものだった。
滞在した二週間と少しの間、ほとんど天気が崩れなかったので毎日極上の夕日を堪能することができた。
人生初のヒッチハイク
花火の買い出し
山形での合宿生活が始まって一週間ほどたったころ、現地で仲良くなったグループで、宿から歩いてすぐの海で花火をすることになった。
そうすると花火の買い出しが必要になる。
湯野浜のあたりで花火が買えるような大きなスーパーマーケットはない。地元の人に聞くと、色々なものをそろえるには隣町、酒田市のイオンに行かないといけないらしい。
それならそのイオンに行こうということになったのだが、足がない。
どのくらい遠いのだろう?
20km⁈
仕方なく、教習所の周辺からヒッチハイクをして酒田のイオンを目指すことになった。
人生初のヒッチハイクだが全くと言ってよいほど止まってくれない。それでも小一時間粘っていると、年配の女性の方に乗せてもらえることになった。
本当は同年代くらいの田舎ギャルとの出会いを期待していたのだが、贅沢は言っていられない。
イオンにつくと花火以外にもいろいろなものを買うことができた。
教習のあとに出発したので、そんなにいろいろなお店を見る間もなく帰る時間になってしまったが、庄内一の商業施設を満喫することができた。(バカにしてないですよ。。。)
帰りもヒッチハイク
帰りも同じように鶴岡方面に向かう人に乗せてもらわなければいけない。
イオンのなかで声をかけてもナンパと勘違いされてろくに話も聞いてもらえなかった。
唯一、会話のできた同年代くらいの女の子にもこれから映画『君の名は。』を見るのだと断られてしまった。
イオンまでたどり着いて、無事に用も済んだのはよかったのだが、今度は帰れなくなってしまった。
仕方なく日が傾き始めているイオンの駐車場の出口付近で行きと同じようにヒッチハイクをした。
行きよりもさらに乗せてくれる人が見つからず、途方に暮れていたところでやっと一台の車が止まってくれた。宿のある湯野浜まではいけないが、鶴岡市街までは送ってくださるということになった。
こちらもまた老夫婦だったが、今度はもう感謝しかなかった。
鶴岡駅に到着する頃にはもうすっかり暗くなっていた。
駅まで来れたは良いものの…
鶴岡駅前のモニュメントのあたりで湯野浜に向かう人を探したが、一向に見つからない。駅から宿がある湯野浜までも15km近くあるのだ。とてもじゃないけど歩いては帰れない。
そもそも電車の本数が都会とは比べ物にならないほど少ないので人がいない。
タクシーを使うのも惜しいので、どうしたものかと思っていたところで現れた一人の太った男性に声をかけると、その人は新潟に向かうということだった。
通り道だ!!
湯野浜を通ると少し遠回りになってしまうが、何とかお願いすると宿の前まで乗せてもらえることになった。
その男性は普段は教員をしている人で休日は好きな電車を追いかけている鉄オタだそうだ。
鉄オタ男性(学校の先生)からの細かい鉄道話を聞きながら、湯野浜まで乗せてもらい、無事宿に戻った時にはもう日付が変わりそうだったのではないか。
隣町のイオンまで行くだけなのに、運任せの小さな旅になってしまった。
ちなみに、僕と友人はこの「ヒッチハイク」という運任せの旅を合宿期間中にもう一度敢行した。
もちろん、拾ってくれたのはおばさまだ。
偶然の再開から羽黒高校へ
湯野浜海岸での花火も楽しみ、色々と楽しい思い出もできた。
免許合宿も終わりに近づいた頃のある日、いつも通り友人と宿から歩いて足湯に向かった。
足湯に着くと、僕たちよりも先に二人の女性が足湯に入っていた。普段なら間違いなくそんなことはしない、出来ないのだが、合宿免許という非常に狭いコミュニティで生活していた僕はその二人の女性に声をかけた。
すると、それとほぼ同時に「イオンで会ったよね」と言われた。
(イオンで会ったよね???)
????????
正直、その時にはもう顔を覚えていなかったのだが、話をしていくとその人は、僕たちがイオンで鶴岡まで車に乗せてくれる人を探しているときに、「映画があるから」という理由でヒッチハイクを断った二人組のうちの一人だということがわかった。
奇跡的な再開にお互い興奮して会話も盛り上がる。同い年ということもわかりすぐに仲良くなると、少しの時間ドライブに連れて行ってもらえることになった。もう一人は年は一つ上で、京都の専門学校に通っているという。
特に行きたいところもなかったので、二人の母校である山形の羽黒高校に連れて行ってもらうことになった。
湯野浜の足湯から羽黒高校までは20kmくらい。ものすごくスピードを出すのであっという間に到着した。
羽黒高校につく直前、大きな鳥居をくぐった。二車線の道路をまたぐようにして立っている大きな大きな鳥居だ。
羽黒というと霊的なイメージがあるので、鳥居をくぐった時に少しだけ怖さを感じた。
誰もいない夜の羽黒高校を軽く案内してもらった。
やはり心霊的ないわゆる学校の七不思議のようなものがたくさんあるらしい。また、あまり治安のよい学校ではないということも聞いて驚いた。
羽黒高校見学を終えた後は湯野浜まで車に乗せてもらい、そこでお別れになった。
山形での最終日
あっという間
昔から何かが終わってしまうのが本当に嫌いだった。山形での生活が終わってしまうのも本当に寂しかった。
卒業検定の合格者発表では掲示板に番号が張り出される。大学受験以来、数か月ぶりの緊張感だった。
無事卒業検定に合格すると、うれしいような寂しいような不思議な気持ちになる。
卒業が決まるとすぐに必要な手続きを済ませて教習所の車で鶴岡駅まで送ってもらう。
そこからは行きと同じ道程であっという間に東京駅についた。
「つや姫」の魔力
家に帰って気が付いたが、山形にいる間にかなり太ったらしい。
確かに宿で出される庄内のお米「つや姫」がおいしくて、ろくに運動もしていないのに気が済むまでご飯を食べていた。
働かなくても勉強もしなくてもおいしい食事が提供されて、毎日たっぷり寝ることができて、友達もたくさんできて、嫌なことが何もない夢のような2週間だった。
もちろんどこの教習所でもこのように満足できたとは思うが、食事のおいしさや人の温かさは東北、山形ならではのものだと思う。
また、少ししてから山形に行ってみよう。
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