仙台が舞台の青春小説、井上ひさし『青葉繁れる』

文学

例年通り、年末年始は母方の祖母がいる福島県の喜多方で過ごした。毎年のことだが、特にすることもないので、喜多方では読書にふける。今回は井上ひさしの『青葉繁れる』を読んだ。

あらすじ

主人公、田島稔は仙台一校の高校三年生だ。仙台一高は仙台ではトップ校。地元では勝ち組だ。そんな一高ではクラス分けも、席順も定期考査の成績順に分けれる。稔は学年6クラスあるうちの六組だ。物語はそんな落ちこぼれ(落ちこぼれとは言っても東大合格者が何人も出るような高校だが)クラスの四人を中心に始まる。稔、ジャナリ、ユッヘ、デコの四人だ。

口を開けば女の話、医学書で女体を見て喜んでいるような四人には共通のアイドルがいる。そのアイドルとはクラスの女子ではない。クラスに女子などいない、仙台一高は男子校だから。

田島稔の家は料亭だ。四人はその料亭に出入りしている芸妓である、多香子をあこがれの目で見ている。稔の部屋は料亭である家の裏階段を少しいじったものだ。狭いが、よく言えば秘密基地のような、たまり場には格好の場所なのだろう。そのたまり場に集まっては、色々な話をしたり、店からくすねた酒を飲んだりしている。そこから大人の相手をする多香子を覗いているのだ。

そんな四人がまた少し悪だくみをして仙台駅に出ると、多香子が一人の男とやけに親し気に歩いているのを目にする。翌日学校へ行くと、その多香子と一緒に歩いていた男が教室に入ってくる。彼は転校生の渡部俊介だった。

渡部俊介は東京の日比谷高校からの転校生で、主人公らの羨望の眼鏡を通して見たせいもあってか、かなり「すかした」転校生だった。しかし、後日稔は店で多香子から、渡部俊介が多香子の腹違いの弟だということを聞かされる。

恋的ではないということが分かった稔は俊介に近づく。東北なまりをからかうなど、色々と格好つけていた俊介だが、稔に自宅料亭の階段にあるたまり場に招かれると、そこから次第に距離は縮まり、稔、ジャナリ、ユッヘ、デコ、俊介の五人は行動を共にするようになる。

仙台育ちでもともとつるんでいた四人と俊介の距離がぐっと近づいたのが、二女高(近所の女子高)の演劇部と一高の演劇部の合同演劇発表会だ。五人は演劇部など縁がなかったのだが、俊介が一目惚れした二女高の部員若山ひろ子を目当てに、五人は急遽ロミオとジュリエットの英語劇に参加することになった。俊介はロミオ兼演出家で、ジュリエット役のひろ子と役の上では恋仲になることに成功した。対して田舎育ちの四人は従僕ABCDで台詞は一行しかない。

だいぶ俊介の思惑通りに進んでいた合同演劇だったが、ある日突然若山ひろ子が退学史っという知らせが入る。演出家兼ロミオのテンションはダダ下がり。本番も結局は稔のミスから負の連鎖がおこり、東北初の高校生による英語劇は大失敗に終わってしまった。「二女校の生徒とかかわりを持てたら」という淡い期待から始めた演劇の日々は終わりを迎えた。

翌日、最後に舞台の片付けが予定されていた。ここには二女校の生徒も来るので、稔たち五人が女子とかかわりを持てるチャンスはこれが本当の本当に最後なのだ。

残念ながら、ここには演劇部の生徒は来なかったが生活美化委員の生徒が来ていた。ここでもまた俊介をきっかけに、デートの約束まではこぎつけた。

待ちに待ったデート当日の土曜日、六人来るはずだった二女高の生活美化委員は一人しか来なかった。しかも、六人の中でダントツに顔が悪く、胸のふくらみしか取り柄がない子が一人で来たのだ。

一高男子チームはじゃんけんで負けたデコがデートすることになった。デコと「たん瘤」と渾名をつけられたその女子は松島デートを楽しむはずだが、全く会話が合わない。デコは全く盛り上がらない中、かなり強引に「たん瘤」を地面に押し倒して、襲い掛かる。いわゆるレイプ。しかし、結果は下着を何重にも履いていた「たん瘤」の戦略勝ちだった。

翌々日の月曜日、学校に行くと稔たちは校長室に呼ばれた。そこには二女高の先生が来ていた。デコが「たん瘤」の口に、猿ぐつわのように押し込んだ手ぬぐいに、見事に校名、名前が入っていたので、「うちのせいと二なんてひどいことを!」といった具合で抗議しに来たのだ。しかし、一高のチョロ松校長は見事な言葉で、その場を乗り切る。今ではとても考えられないが、そうなることはわかっていたのに、覚悟をせずに異性に会いに行った、たん瘤が卑怯だ。うちの生徒の乱暴と一対一でおあいこだというのだ。そして、二女高の女教師と一緒に部屋を出たチョロ松に代わって、担任の軽石が五人に説教する。その内容が男子高校生にはこたえるものだった。詳しくは、ご自身で本を読んでみてほしい。

それからしばらくは平穏に過ごしていた稔たちだったが、稔とユッヘが大東岳に登山に行った帰りの電車で、あるものを見てしまう。それは、一高校長のチョロ松とみんなのアイドル、そして俊介の姉である多香子が仲睦まじく電車に乗っているのを見てしまったのだ。

稔とユッヘが見たその事実を五人で共有すると、チョロ松に天誅を下すことに決まった。稔が実家の料亭「たじま」の残月という最上級の座敷にチョロ松の名前があることを知り、その帰り道を襲うことに決定した。

酒を飲んで、気分を上げた四人は、校長が帰るのを裏階段の部屋で待つ。ついにその時が来ると、裏路地にて、一人ずつ拳でチョロ松に天誅を下した。今なら大事件だ。しかし、校長は「一切口外するな」とだけ言って、その場は騒ぎにならなかった。

五人は少し冷静になり(?)校長をなぐったことに対して、退学届けを出すという結論を出した。門番の通称「裏門校長」に五人連名の退学届を託し、その後はつけ払いでラーメンを食べ、更に酒を飲む。この辺りの描写はこれぞ青春といった感じで素晴らしい。

翌日起きると、稔の部屋の窓の下には、退学したからいらないだろうと言って投げ捨てた教科書や参考書と、木の札が散乱していた。どうやら酔った勢いで表札泥棒を働いたらしい。昼過ぎに校長から「熟慮断行」とか書かれた、事実上の退学不認可の通知が届く。稔らは一高生であり続けることが許されたらしい。

十一月になって、一高では文化祭が行われた。稔たちはそこで、校長リンチ&退学騒動の夜に盗んだ表札を出店することにした。これが問題となったのだ。新聞には連日、記事が上がる。そして、数日後、思ってもいなかった事態となった。チョロ松が校長を辞任したというのだ。五人が退学する前に、校長は「校内でおこることについてはすべて私に責任がある」と言って、辞表を出したのだそうだ。結局稔たちは特に処分を受けることなく、物語はここで幕を閉じる

物語を形作っているもの

舞台は杜の都

物語の舞台は仙台だ。感の良い人ならタイトルだけで、仙台を連想できるかもしれない。主人公の田島稔は仙台一校に通う。冒頭から青葉城や広瀬川など、仙台の地名が続々と登場する。また、たびたび、新聞『河北新報』も登場する。

物語の中盤、近くの女子高の生徒をデートに誘うのだが、その待ち合わせ場所も日本三景の一つ、松島だ。残念ながら、僕は宮城の人間ではないし、細かい土地勘はわからないが、地元の人からしたらよりリアルに稔たちの高校生活を思い浮かべることができるのではないか。

ザ・青春もの

物語はこれ以上ないと言って良いほどの青春ものだ。主人公を含めた四人の仙台男子は女の子を押し倒すことしか考えていない典型的な男子校高校生だ。東京から転校してきた渡部俊介も、少し垢抜けたキャラのように思えるがやはり男子高校生で、段々と仙台一校三年六組の四人となじんでいくのが面白い。最後には俊介の口から方言も飛び出すのが印象的だ。

序盤からいたるところに出てくるバカ話も、二女高との合同演劇発表会の件も、その後の片付けから発展したデートの件もそのもとにあるのはすべて、男子高校生の性欲だ。ここまではっきりしているとすがすがしい。

まだまだ男尊女卑がはっきりしている戦後間もない頃の話なので、もしかしたら笑えないという人もいるかもしれない。だが、僕は、これはこれで良いのではないかと思う。こういう雰囲気もあったということがわかったし、物語としても楽しむことができた。

反骨精神

校長リンチや表札泥棒など、大人に抗いたい高校生の精神がしっかりと行動に現れている。これがフィクションだからなのか、実際にそういう時代があったのかは分からない。ただ、おとなしく中学高校生という時代を終えてしまった自分は、五人を少し羨ましく感じる。

大人の温かさ

そして、そんな子供たちをやさしく見守る空気が、まだ存在した時代だった。チョロ松(校長)や軽石(担任)はまさにそうだろう。生徒のやりたいことはやらせてやろう、という学校の在り方が、この小説の一つのテーマのように思える。実際、文庫本の「あとがき」には戦後数年間の日本には三群の大人がいたと書かれている。第一群は、「わたしたち大人はまちがっていた。その間違いを子どもたちの前で明らかにしながら、この国の未来を、彼らに託そう」と考えた大人たち。第二群は「わたしたちにまちがいがあろうはずがない。しかしいまは連合国軍の管理下にあるから、それを言い立てても仕方がない。しばらくひっそりと息をひそめて復権の機会をまとう」といった人々。第三群はその日を生きるのに精一杯の人たち。自分では歴史の勉強を通してしかわからない戦後の時代を覗けたような気がする。井上ひさしは、大半の大人が第三群の大人だったと言っているが、この小説には一群の大人が出てきて、学生たちを見守っている。やはり五人が羨ましいと思ってしまう。

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