新倉山浅間公園を出て、またすぐに山道に入る。まだ、二日目、実質一日目の序盤ということもあり、身体も軽く会話も弾んでいた。
ここでは弾丸北陸旅行の一日目について書こうと思う。ここでも記事を書くにあたって色々なことを思い出し、また新たなことを知ることができた。
地域も東北から外れているが、またしばらく自己満足の紀行文を書き連ねていこうと思う。
甲府盆地の湖水伝説
山を一つ越え、富士五湖の一つである河口湖の東側を通り、車は再び山道に入っていく。
しばらくして下り坂を走り、左右を山の景色が流れる道が終わるとそこは甲府盆地になる。
名前の通り周囲を見ると山ばかりでそこが盆地であることが実感できる。この盆地地形が毎夏、高温のニュースに山梨を登場させるのだろう。
調べてみて初めて知ったのだが、甲府盆地には湖水伝承があるらしい。
その伝説によると、大昔、甲府盆地が湖の底だったというのだ。科学的に見て実際のところがどうなのかはわからない。
ただ、法城寺の上条地蔵菩薩がかつて湖だった甲府盆地の南部の山を切りひらき、富士川にその湖水を流したという伝説が山梨県内の複数の神社に残っているという。
実に興味深い話である。
甲州街道をなぞって北上する
国道20号線は東京都を起点に、一部神奈川県の相模原市を通過して山梨県に通ずる道だ。そのまま北上すると諏訪湖までつながっている。
国道20号は江戸時代には甲州街道と呼ばれていた。新宿駅の構内を歩いていると「甲州街道方面」という看板がある。
新宿駅のすぐ横を通っているあの大道路が国道20号線につながっているのだ。
国道の番号(?)は何度か変わるが、基本的には甲府盆地に入ってからはひたすら一本道だ。
ずっと左側に川を見ながら車を走らせる。あとで調べてみるとずっと並行して走っていたあの川は釜無川という川らしい。
釜無川と御勅使川の合流点には信玄堤という堤防が残されている。これは武田信玄が行ったとされる、治水事業の一環である。
人間の生活には水が欠かせない。
だからこそ、人は水が得やすいところに拠点を置きたいが、その水は時にして人間の生活を破壊していく。
3.11の津波の映像がテレビで流れるたびに思うが、大量の水を目の前に人はなすすべをなくしてしまう。昔の人も水の急襲には悩まされたのだろう。
ラーメン「頂」
甲府盆地を縦断し終わるころ、甲府市の北に位置する韮崎市でおいしそうなラーメン屋を見つけた。
丁度11:30頃だっただろうか?
朝ご飯は何も食べず、とりあえずガムを噛むことで空腹を紛らわしてきたので、「頂」という豚骨ラーメン屋の看板を見た時には気が付いたらウインカーを出して右折していた。
開店とほぼ同時に東京側から見て甲州街道の右側にあるラーメン屋の駐車場に車を止めた。
お客さんは他にいなかったので、僕たちが一番乗りだった。
ラーメンもとてもおいしかったのだが、ラーメンを待っている間に頼んだチャーキャベというお通しのようなものがものすごくおいしかった。
入店してから案内してくれた女性店員の感じもよく、とてもいいお店だった。トイレもきれいで、店内も清潔感があった。
僕は一番オススメと書かれていたラーメンを頼んだ。
家系ラーメンとは少し違うが、ご飯を一緒に食べたくなるような濃いラーメンだった。
だが、決して重たいわけではない。昼から食べても問題ない、本当においしいラーメンだった。
友人は餃子も頼んでいたが、それもまたおいしそうだった。
諏訪参り
山梨県の北杜市を抜け、いよいよ長野県に入る。
ここまできても、横にはまだ釜無川が流れている。長野に入ってはじめに通るのは富士見町というところだ。
富士山は山梨と静岡にある日本一の山だということは小学生でも知っているのことだが、意外にも山梨・静岡でないところで「富士」の地名が付く場所は多い。
おそらく昔の人は、少しでも富士山が見えればそれにちなんだ地名を付けたのだろう。
しばらく進むと、「諏訪大社」の文字が見えてくる。せっかく来たのだから神社巡りもしようということになり、まず初めに諏訪大社の「上社前宮」に寄った。
どこの神社でもそうだが、木がこんもり茂っていて、そこだけ平成日本ではないような気がして落ち着く。
二月の終わりごろにもかかわらず、すでに花粉症の症状に襲われていたが、不思議と神社の境内ではそんなことも気にいならない。
いくつか何気ない風景の写真を撮った後、旅の安全を祈る。
坂を上ったところに湧き水の水源があるということを知ったので少し歩いてみたが、意外と遠く途中で断念した。
かなり水量が多かったので雪解けの影響もありそうだ。
傾斜を滑る水流に手を入れてみると、覚悟はしていたが想像以上に冷たい。
出発したときは温かかったのだが、二月末の北陸の玄関口はまだまだ寒かった。
次に向かうのは諏訪大社の「上社本宮」だ。
こちらはかなりの規模だった。関連寺院などを含めると、敷地の面積は相当なものになりそうだ。
鳥居をくぐって右手側だっただろうか。長い回廊が迎えてくれたのが印象的だった。
やはり観光名所なだけあって人はそれなりに多かった。
ただの神社であれば平日に人は集まらない。
少し遠回りをして本殿を拝む。
ここでも個人的なことは祈らず、旅の安全だけを祈った。
境内の中には見たこともない大きな太鼓など、珍しいものがたくさんあった。
中でも興味深かったのは土俵があったことだ。相撲が神事であったことを再確認した。
今でも田舎の方に行くと小学校の校庭の隅に土俵があるが、近所ではほとんどない。
半世紀ほど前は相撲はもっと国民的なものだったのだろうか?
諏訪大社には下社もあり、全部で四つの神社があるようだが、今回は上社の二つしか回ることができなかった。
次回は本来の諏訪四社めぐりをしたい。
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