【明治擬洋風建築】鶴岡警察署庁舎について

歴史

※今回は大学時代の建築学の講義でのレポート課題を記事にしたものです。

1.主題設定の動機

私は二年近く前、大学一年の夏休み、自動車の免許を取得するために山形県鶴岡市の自動車教習所に合宿に入った。免許合宿は空き時間こそ多いが圧倒的にやることがない。教習所の自転車を借りて鶴岡市街を散策したとき、観光名所として警察署庁舎があるということを耳にした。残念なことに2016年の当時は工事中で、幕で建物全体が覆われていたので実物を見ることができなかった。二年近く経った2018年の春学期、建築史の授業で実際に見ることのできなかった旧鶴岡警察署庁舎が取り上げられた。この機会にぜひレポートのテーマとして調べてみようと思う。

2.建築の概要

 日本では明治時代初期、文明開化の風潮が高まった。その流れは建築にも強い影響を及ぼした。幕末から明治にかけての維新期、「洋風とも和風ともつかない、ある種の熱を帯びたような建築群」が日本各地につくられた。この建築が「擬洋風建築」である。擬洋風建築は「近世以来の技術を身につけた大工棟梁によって設計・施工された建築」であり、西洋建築をまねた外観が特徴的であるが、その細部は洋風・伝統的な和風・時には中国風の様式が混ざっている。

明治維新以降、新しく建てられる学校や役所、病院などは、特に都市においては日本が文明開化の目標とする西洋の様式が求められた。都市部の主要な建築にはお雇い外国人が招かれたが、地方のものは日本の大工によって作られた。ただ、伝統的な日本の大工は西洋建築に関しては情報も乏しく、技術的にも未熟であったので、西洋建築を見よう見まねで解釈し、「洋風建築」を造っていった。そのため、その地域によって自由なアレンジや創造が加わり、それぞれの建築で異なるデザインや技法が生まれた。擬洋風建築とひとくくりにまとめても一つ一つの建築によって細部は大きく異なるのである。

これらの擬洋風建築は明治20年代以降、本格的な西洋建築が建てられるようになると次第に作られなくなっていく。擬洋風建築は名前の通り、日本人が西洋建築をまねた和洋折衷の独創的な建築の事を指すのである。

 擬洋風建築は民衆による文明開化への強い憧れ、エネルギーの現れだと理解されるが、山形県鶴岡市の鶴岡警察署庁舎の場合は少々違うように感じられる。民衆のエネルギーというよりは明治新政府による新体制の統治の象徴として用いられたという方が正しいだろう。鶴岡に限らず山形県には県令三島通庸によって大量の擬洋風建築がつくられた。三島は道路工事と洋風建築の建設によって視覚的に新体制による統治をアピールしようとした。その時につくられた擬洋風建築群の中のひとつが鶴岡警察署庁舎である。鶴岡警察署庁舎は1884(明治17)年に竣工した、木造二階建ての入母屋造りの建物であり、設計は高橋兼吉である。戦後、現在の場所へ移築され、前述した通り、平成25年から29年まで修復工事が行われた。

〈写真①〉旧鶴岡警察署庁舎前景 清水重敦『日本の美術 第446号 擬洋風建築』3項より

3.鶴岡警察署庁舎の特徴

 鶴岡警察署庁舎の外見は完全な洋風建築である。東北の有数の米どころである鶴岡にこのような建物が並んで建てられた当時は、ある種異様な光景だっただろう。しかし、内部を細かく見ていくと、やはり、和風の部分が垣間見える。まずは柱についてである。明治初期のお雇い外国人による建築の柱は特徴的なものが多いが、日本人棟梁の計画と思われるものには西洋の古典様式を正確に模写したものはほとんどないという。鶴岡警察署庁舎の柱もその例外ではない。写真①にある通り柱や軒桁は在来和風のものである。

〈写真①〉鶴岡警察署庁舎の柱(近藤豊『明治初期の擬洋風建築の研究』より)

 また、天井についても同様に和風の技法が採用されている。鶴岡警察署庁舎では基本的に棹縁天井が用いられた。車寄上は格天井となっている。棹縁天井は細い木材を平行に並べ、その上に天井板を木材と直角になるように並べた天井で、格天井は正方形の区画を木材で分割したような天井である。どちらも和風の木材建築に使われる技法である。

4.終わりに

鶴岡警察署庁舎は上で見てきたように、外見の洋風な雰囲気に対して、内部には在来和風の建築技法がしっかりと残されている。これには予算の関係や外国人の教示を受けながらもあえて和風の雰囲気を取り入れたという例もあるという。理由はさまざまであるが、完全な西洋建築にしきれなかった部分が、細かく見ていくと細部に残っている。これは明治初期から10年代にかけてつくられた擬洋風建築の大切な要素であり、鶴岡警察署庁舎は擬洋風建築の典型例だということができるだろう。また、成立の歴史を考えたときに戊辰戦争で奥羽越列藩同盟を結成して新政府軍に反対した東北、山形であえてこのような建築が立て続けにつくられたという事実は、東北全体の歴史をかんがえたときにも大きな意味を持つだろう。近年の改修工事を終えて、鶴岡警察署庁舎の外壁は鮮やかな水色に塗られた。これは明治初年に戻した形になるという。視覚的に新体制による政治をアピールしたという県令三島通庸の政策が徹底したものだったということが容易に想像できる。明治初期の建築が断片的にしか残されていないという状況で、山形県は比較的多くの擬洋風建築が現存している。なぜ山形に現存する擬洋風建築が多いのかは今後の課題としたい。

〈引用〉

1 清水重敦『日本の美術 第446号 擬洋風建築』至文堂、2003 17項

〈参考文献〉

清水重敦『日本の美術 第446号 擬洋風建築』至文堂、2003

近藤豊『明治初期の擬洋風建築の研究』理工学社、1999

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