『天気の子』を見てきた!!

東北学

公開からだいぶ経った8月後半、ついに新海誠監督の最新作『天気の子』を映画館で見てきた。前回の『君の名は。』もとても面白く、二回映画館で見たが、今回もおそらくもう一度映画館に行くことになるだろう。簡単な感想をまとめていきたい。

リアルよりリアル

前回作品の『君の名は。』、そして、『言の葉の庭』と同様に、『天気の子』の物語の舞台は世界一のターミナル駅である新宿駅の周辺だった。今回も見慣れた東京の景色が現実よりもリアルに描かれていた。いつも思うが、アニメでどうしてこれだけリアルな映像をつくり出せるのだろうか。不思議で仕方がない。

そして、今回も RADWIMPS の手掛けた音楽が格段に良かった。またこれからしばらくは「RAD」の音楽から離れられなくなりそうだ。


普段はあまり映画館にはいかないのだが、いざ行ってみるとやはり映画館で見る映画はテレビの再放送の何倍も良いなと思う。当たり前か。

あの大画面で、立体的に聞こえてくる声、音楽で楽しむから心に残るのだ。テレビ放送待ちでまだ映画館に行っていないという人は、まだまだレイトショーもあるのでぜひ見に行ってほしい。



※ここからはネタバレを含むのでご注意ください。

二度と戻ってこない、永遠に続いてほしい時間



「二度と戻ってこないんだろうな。」
楽しい時間の最中、心のどこかでこう思っている。

「永遠に続いてほしい。」
そして叶うはずもない願いを心の中で唱えるのだ。

三人で警察から逃げ、ラブホテルへ逃げ込んだ日の夜、帆高もきっとこう思っていただろう。いや、「このまま三人で暮らそう」と言った帆高は本当にあの幸せな時間がずっと続くと思っていたのかもしれない。陽菜はその時、すでに自らの運命を悟っていたのだろうが。

陽菜が力を授かったビルのモデルとなった代々木開館。取り壊されることが決まっているそうなので行く人はお早めに。

―正義― 誰に感情移入するか?

個人的にはこの映画は見る人によって共感・同情・感情移入できる登場人物が変わってくると思う。僕は男なので帆高須賀さんがメインになる。

最後の場面、帆高は警察から逃げ回り、屋上に鳥居のある代々木の廃ビルへとたどり着く。そこには須賀さんが待ち構えていて、帆高を必死に説得する。須賀さんには須賀さんの正義がある。亡くした妻との間の子供の親権のこと、また帆高の将来のことも考えての事だろう。これが須賀圭介という男の正義なのだ。

対して、帆高は銃を使ってまで屋上の鳥居に行こうとする。陽菜に会いに行こうとするのだ。雨が止まず東京が水浸しになっても、二人でいられる世界を選んだ帆高には帆高の正義がある。

廃ビルの場面の少し前、帆高が山手線の線路を走って池袋から新宿を通り、代々木に向かう場面で僕は帆高を応援していた。しかし、心のどこかで「もうどうせ会えないんだし、どんどん社会復帰が難しくなるんだから…」と思っていた。須賀さんもそう思っての説得だったはずだ。

どうやら僕の考えは須賀さんに近いようだ。気が付かないうちに大人になってしまった。愛さえあれば何もいらないというのも羨ましいが、それだけじゃいけないだろうと思うようになってしまった。

もう大人になれよ、少年。
もう青年という年になった自分に須賀さんの言葉が響く。

登場人物それぞれが持つ正義がある。どの正義を応援するかによっても映画の見方は変わってきそうだ。

水浸しの東京を見て

ここからはこのブログらしく、東北に関連付けてまとめてみたい。


映画の後半、帆高が高校を卒業して再び東京に戻ってくると、3年間降り続いた雨が町を水浸しにしていた。だが、人々はなんだかんだ平気な顔をして暮らしている。電車は船に変わり、もちろんすべての場所が水に沈んだわけではなく、瀧くんのおばあちゃんも引っ越しをしてマンションに住んでいた。

そして、おばあちゃんは言う。
「水に沈んだあたりはもともと海だった場所。元に戻ったと思えば悪くない。」


ここで東北学を提唱している赤坂憲雄氏に関する記事を引用したい。


南相馬市の小高というところで、津波によって水田が泥の海と化し、潟のようになったそうです。しかし更に調べてみると、その水田も実は明治30年以降に造られたものであり、その前は浦や潟であったことが分かりました。赤坂先生はそこから、“潟化する世界”というイメージを思い描かれたそうです。それは、人工的に囲い込まれ造られた世界に対して、潟に戻ろうとする自然の動きです。いっそ潟に戻してやればいい、という赤坂先生の考えは、いささか過激すぎて受け入れられなかったそうですが、変化していく人と自然の関係の中で、同じ境界を維持し続けることの不可解さを問われます。

http://itojuku.or.jp/blog/1966

津波とは2011年3月11日の東日本大震災の時の津波のことを言っている。もともと海だったところを人工的に農地にしたり、住宅地にしたところからはいつまでたっても水が引かないのだという。

東京でも渋谷・汐留など地名の漢字に「さんずい」が付く場所は、津波が来た時にまず水没すると都市伝説的に言われているがこれも同じことだろう。

新海誠監督がどれだけ東日本大震災の事を意識していたかは分からないが、僕は『天気の子』には人が住むために開発され続けてきた日本へのメッセージが込められている気がしてならない。

最後に

後半は僕の思想を散りばめてしまったが、とにかく伝えたいことは『天気の子』は素晴らしいということだ。僕も公開が終わる前にもう一度見に行こうと思っている。まだ見ていない人は是非、映画館で見てほしい。

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