三月末、秋田県鳥海地区の山道を車で走っていると「院内銀山」という看板を見つけた。
好奇心に引っ張られて、矢印の方向に入っていくと、その道はまだ雪に閉ざされていて、すぐに進めなくなってしまった。
仕方なく両サイドが車の車幅ギリギリの道をバックで戻り、元来た道へと戻った。また、夏に来た時に来てみようと思う。
だが、家についてからも院内銀山のことが頭から離れない。
調べたことも併せて、ここで記事にしてみよう。
天皇も訪れた炭鉱跡
明治時代、院内銀山には明治天皇も訪れたらしい。
日本の経済を支え、「東洋一」と称された鉱山の視察に訪れたのだろう。
明治14年の9月21日、天皇は「五番坑」と呼ばれる採掘穴に入られたそうだ。
稼働中の坑道に天皇が入ったのは後にも先にもこの時だけだということなので、よほどのことだったのだろう。
これを記念して、「五番坑」は「御幸坑」と名付けられたそうだ。今でも隠れた名所として、地図にはその名が載っている。
かつて天皇が通られた道や場所には「幸」という文字が含まれていることが多い。
院内銀山の歴史
帰って院内銀山について調べてみると、そこはかつて「東洋一の銀山」とも呼ばれていた大きな鉱山だったということが分かった。
江戸時代、村山宗兵衛によって発見され、開かれた院内銀山は、江戸時代では日本最大の銀山だったという。
最盛期には現在の秋田市に負けず劣らずの大きな町に成長し、「出羽の都」とも呼ばれたらしい。
そんな院内銀山だが、僕は明治時代のものという印象が強いと感じる。
大学入試の勉強で明治時代の炭鉱として、その名前を覚えた記憶があるのだ。
調べてみると、院内銀山は明治時代にも日本の経済を支えた大鉱山だったらしい。初めは工部省が管理していたが、古河市兵衛に払い下げられた後にも銀の産出量は増えた。
一時は大盛況だった院内銀山も、国際市場で銀の価値が暴落すると、その規模を縮小、大正年間にも細々と採掘を続けていたが、1954年には閉山したのだという。
院内銀山の霊のうわさと廃村跡
サーチエンジンで「院内銀山」と入力すると、怪談話がいくつか出てくる。
どうやら秋田県の心霊スポットの一つのようだ。
おそらくその霊は、鉱山での強制労働によって、重労働の中で死んでいった人々の霊なのだろう。
確かに、明治時代の鉱山では過酷な重労働があったという話は聞いたことがある。院内銀山の近くには、実際にいくつもの墓があるのだとか。
今度入ったときには、そこもしっかりと見て来よう。
しかし、調べてみると、鉱山での労働も必ずしも悪いことばかりではなかったようなのだ。
やはり銀の採掘に関わる職業ということで、賃金は高かった。鉱山町の生活水準は一般の農民と比べて高かったそうだ。
また、東北の長い冬では、農業の他に仕事がなければいけない。
村によって、民芸品を作ったり、草鞋を作って売り歩いたりと色々な形で長い冬を越したという。
秋田では薬商との兼業農家が多かったという話も何かの本で読んだことがある。
そのような「副業」の一つとして、鉱山への出稼ぎもあっただろう。
もちろん囚人の強制労働もあったのだろうが。
また、海外の技術者も鉱山町には居たという。
恐るべき、自然の再生力
全盛期の院内銀山にはとにかくたくさんの人で炭鉱町がにぎわっていたことが想像できる。
だが、今回行ってみたところ、そんな面影は跡形もなく消えていた。
かつてお雇い外国人の屋敷があったという場所も雑木林となり、その上には深く雪が積もっていた。
戦後10年足らずの閉山ということなので、まだ1世紀も経っていないことになる。
それなのに、かつて栄えたという町はこんな姿になってしまうのか。
人の手が一切入らなくなった家や畑は僕たちが思っているよりもずっと早く、驚くべきスピードで自然へと帰っていく。
そこはまるで「はなさかじいさん」が灰をまいたようだ。
そういえば、3.11で帰還困難区域になった地域も荒廃の進むスピードが恐ろしいほど早いということを聞いた。
以前、2017年の春に福島県の沿岸を走った時にも、国道の脇の民家はかなり荒れていた。
院内銀山の炭鉱跡も、夏には観光客が訪れるそうだが、その数は他の観光地に比べれば微々たるものだろう。
このままいけば、じきに元通りの山になるのではないか。
東北の山を車で走っていると、同じようなところはたくさんある。人が何年も住んでいないような空き家も、畑に埋もれそうになっている。
もともと畑だったであろう場所は、自然の植物でおおわれている。
自然の力は人間が思っているよりもずっと大きなものなのだ。
逃げていく東北
僕が東北を旅する理由。それは失われる東北を追いかけるためだ。
開発される東北。荒れていく東北。それらは何か自分から逃げていくようにも見える。それを必死に追っているのだ。
時代の流れとともに、自然に戻るのはとても良いことだ。だが、その過程を見届けたいという想いはある。
開発されることも、自分の手ではどうしようもないことだ。それでも、少しでも自然豊かな東北の景色をこの目に焼き付けておきたい。
自分が東北を走り回るモチベーションだ。
院内銀山も気が付いたらもう見ることはできなくなってしまうかもしれない。
その前にもう一度見に行きたい。
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