秋田の海沿いを北に走る
新幹線を見て満足した僕は、男鹿半島に行くために、再び沿岸部へ向かった。
秋田の港はとても大きく、立派な船が何艘も泊まっていた。
倉庫などの施設も大きいものが多く、なかなか見ない光景が続く港湾通りは運転していて面白かった。
秋田港には、得体の知れない線路の踏切などもあり、それもまた興味深かった。
※おそらくは貨物船の線路だろう
秋田マリーナの横を過ぎるとしばらくは、日本海のすぐ横をまっすぐに進む道が続く。前方には大きな「島」が見える。
地図でその方角を見てみると、正確には島ではない。大きな島のように見えたそれは男鹿半島だった。
男鹿半島はその昔、「湧き出でたりし山」と呼ばれていたらしい。その愛称は間違っていないと、今日この目で見て感じた。本当に、日本海から突如現れた新出の陸地のような出で立ちだった。
なまはげの出迎え
男鹿半島は遠くにあるように見えたが、思ったよりは遠くないようだ。
男鹿半島の根本、八郎潟では2体の巨大ななまはげがお出迎えしてくれた。いよいよ神秘の半島、男鹿半島にお邪魔する。
さらに海岸線に沿って進み、途中で内陸に入る。「なまはげライン」と呼ばれる道は整備されていて走りやすかった。
どうやら地域全体でなまはげを全面に押し出しているようだ。「アオオニ橋」という橋まであった。
なまはげは鬼ではないはずだが…
どうやら外部の人間がなまはげを勝手なイメージで固めていただけでなく、現地の人々も観光地のPRとしてなまはげを利用しているようだった。
山を登ると道にまたがる大きな鳥居が出てくる。思わず羽黒山の景色を思い出
す。車の中からだが一応軽く頭を下げ、鳥居の内側へと入る。
鳥居をくぐって程なくして、「なまはげ館」という施設に到着した。
「なまはげ館」はなまはげの伝承を伝える施設で、中にはお面の展示や伝承の説明など、興味深いものが多かった。
なまはげは大学の民俗学の授業でも触れられ、個人的な興味もあるので、今度調べながら記事を書きたいと思う。
真山神社で旅の安全祈願
「なまはげ館」を一通り見た後は、さらに山の上にある真山神社に向かう。
なまはげに関係がありそうなその神社は、比較的大きく、しっかりと手入れもされている神社だった。
菅江真澄についての看板や、弘法大師の石像も置かれていた。
弘法は日本中の色々なところに行った(ことになっているの)で話は別だが、菅江真澄がこんなところにまで来ていたのには驚いた。
菅江真澄をはじめ、柳田国男や折口信夫もなまはげについて考えを巡らせている。
なまはげとはそれだけ面白い存在で、男鹿半島とはそれだけ神秘的な場所なのだろう。
僕は男鹿半島に来た記念に、なまはげの面のレプリカを買った。これで自分の家も守ってもらおう。
秋田の山道にて
さて、11:30頃男鹿半島真山神社を出発して、ここから福島県の喜多方市まで戻る。
鳥居のある坂を下るときに、秋田港がうっすらと見えた。まずはそこまで来た道を戻る。
行きは酒田から来たが、帰りは由利本荘も通過し、鳥海の山の方へ折れていく。
ひたすらに山道を走り続ける。
上って下って、集落の中を通過して。それを何度も繰り返していると、右側に「院内銀山」という看板が見えた。
院内銀山が有名な銀山だったということは知っていたので、右折して入ってみることにした。
すると道の両サイドが雪の壁になっていて、車一台分がやっと進めるような道幅だった。これ以上進むと戻れなくなってしまいそうだったので、数百m進んだところからゆっくりゆっくりバックで来た道へと戻る。
次に秋田に来た時には院内銀山に来てみようと思う。
ラストスパート
気が付くと、車は山形県に入っていた。
途中の道の駅で休んだが、山形県に入ってからもひたすら車を走らせる。
新庄を通って、寒河江に向かう。
そこから米沢方面へ走り、白鷹町で最上川に沿って、また山道を走る。
今回の旅ではどのくらいの距離を走っただろうか。長距離運転は苦ではないが、我ながら感心する。
日が傾き始めたころ、見覚えのある道に出た。夏に走った時はきれいな田んぼ道だった。国道121号だ。
山形県の置賜地区を抜け、いよいよ福島県との県境の山に入る。
もう喜多方までは1時間ほどだ。日中ダムを越え、一気に山を下る。
もうここまでくると、通り慣れた道だ。
完全に日が暮れる前には祖母の家にたどり着くことができた。
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