大学四年間を文学部で学んだ管理人が、卒業後も趣味で歴史や文学に関連する東北見聞録を記事にしています。
仙台が舞台の青春小説、井上ひさし『青葉繁れる』
例年通り、年末年始は母方の祖母がいる福島県の喜多方で過ごした。毎年のことだが、特にすることもないので、喜多方では読書にふける。今回は井上ひさしの『青葉繁れる』を読んだ。あらすじ主人公、田島稔は仙台一校の高校三年生だ。仙台一高は仙台ではトップ...
【卒論】「天明・天保飢饉における民衆の対応」(6/6)
前の記事終章地逃げは、本稿で見た天明三・四年、天保四・五年の飢饉に限らず、近世の東北では飢饉の際によく見られる現象であった。碇ヶ関に残る史料(名称不明)には、天保八年の際の地逃げについての記録も残っている。天保八(一八三七)年の正月には秋田...
【卒論】「天明・天保飢饉における民衆の対応」(5/6)
前の記事第四章 天保四・五年飢饉に見る地逃げと民衆の対応―弘前藩と秋田藩を例に―第一節 天保四・五年飢饉の津軽・秋田地方の概況 本章では、天保四・五年飢饉の際の民衆の動きと、藩の対応がどのようなものだったのかを見ていく。ここでは、前章に引き...
【卒論】「天明・天保飢饉における民衆の対応」(4/6)
前の記事第三章 天明三年飢饉に見る地逃げと民衆の対応―弘前藩と東北諸藩を例に―第一節 弘前藩における地逃げの発生前夜 天明三年・四年の飢饉をもとに、まずは飢饉のメカニズムとその中での地逃げの位置づけを見ていきたい。本論の第一章で確認した通り...
【卒論】「天明・天保飢饉における民衆の対応」(3/6)
前の記事第二章 弘前藩における飢饉年の気象状況―江戸後期一二〇年間の古記録から見る―第一節 調査の方法『飢饉の社会史』の第一章、「東風冷雨と日和乞」のなかで、菊池勇夫は天明三(一七八三)年の気象を文献史料から復元する作業を試みている。菊池は...
【卒論】「天明・天保飢饉における民衆の対応」(2/6)
前回の記事第一章 先行研究史の整理と本論の課題 第一節 先行研究史の整理 本論文では、近世の飢饉の中でも、天明と天保の二つの飢饉を扱う。一般的に天明の飢饉というと、天明年間(一七八一―一七八九)の諸国大飢饉のことをいう。また同様に、天保の...
【卒論】「天明・天保飢饉における民衆の対応」(1/6)
※この記事は大学時代の卒業論文を記事にしたものです。序文江戸時代、特に元禄前後には庶民の間で旅という文化が一般的になりつつあった。戦国期に始まった信仰の旅に加えて、現在でいうところのレジャー、観光目的の遊楽の旅行が一般庶民にも行われるように...
白河小峰城について― 「お城を見る」から「城郭を読む」へ ―
※今回は大学時代の建築学の講義でのレポート課題を記事にしたものです。第1章 城の概要今回扱う城郭は、福島県白河市(陸奥国白河)に位置する白河小峰城である。白河城と呼ばれることも小峰城と呼ばれることもあるが、地元の人は小峰城と呼ぶ場合が多い。...
【明治擬洋風建築】鶴岡警察署庁舎について
※今回は大学時代の建築学の講義でのレポート課題を記事にしたものです。1.主題設定の動機私は二年近く前、大学一年の夏休み、自動車の免許を取得するために山形県鶴岡市の自動車教習所に合宿に入った。免許合宿は空き時間こそ多いが圧倒的にやることがない...
東北における稲作の歴史―赤坂憲雄先生の「東北学」から学ぶ―
丹念な柳田批判 赤坂憲雄先生は東北学を提唱したことで知られる民俗学者です。私は大学時代に受けていた授業の参考文献として『東北学/忘れられた東北』を読んだのがきっかけで、赤坂憲雄先生の、そして「東北学」のファンになりました。 私は小さい頃から...